行ってほしいところ2026.04.21
焼き物の町・波佐見のはじまりをひもとく|波佐見町歴史文化交流館 学芸員 盛山隆行さん

今や焼き物の町として全国的な知名度を誇る波佐見町。
明治維新まで長きにわたって大村湾周辺を統治してきた大村藩にとって、波佐見町とは一体どんな位置付けだったのでしょうか?

九州の地方史に造詣の深い、波佐見町歴史文化交流館(波佐見ミュージアム)の学芸員である盛山さんにお話をうかがいました。
大村藩のはじまり
大村藩は、江戸時代初期から明治維新の廃藩置県まで、約300年もの間大村氏が治め、それ以前の南北朝時代からも同氏が大村地方の領主として君臨してきました。
大村氏の転機となった関ヶ原の戦いでは東軍に味方し、徳川家康により所領を安堵され、大村喜前が肥前大村藩の初代藩主に。

しかしそれ以前から、喜前の父であり、日本初のキリシタン大名である大村純忠が、1571年に長崎を開港して南蛮貿易を行ったり、江戸時代に入っても長崎警備を担ったりと他藩に存在感を光らせていました。
藩境の町から焼き物の産地へ
そんな大村藩にとって波佐見町とは、佐賀藩と平戸藩に接する藩境の町として重要な役割を担っていました。
さらに、磁器の原料である陶石が採れたことから、焼き物の産地として栄えていきました。

現在、波佐見焼は日用雑器として親しまれていますが、江戸時代のある時期には大名や豪商など上流階級や富裕層向けの商品として高級な青磁をつくっていたことがわかっています。
海外への輸出の際は、波佐見町から川棚町を経て大村湾を海路で縦断して陸路、または大村湾から外海へ出て五島灘へ、というルートで長崎から中国船で輸出。
その後、国内向けの磁器生産へ移行し、大村藩の後ろ盾のもと、磁器の一大産地として発展しました。
海とともにあった大村藩
大村藩にとって海上交通とは、大村湾をぐるりと囲むように領地があっただけに、大切な交通手段だったと考えられます。
現在、定期航路は廃止されましたが、平成17年までは定期便「倉吉丸」が市民の足として大いに活躍していました。大村湾に面する玖島城(大村城)跡のそばには、かつて大村藩主が乗っていた御座船など藩船を格納する船蔵跡が残っており、いかに海上交通が重要だったかを今に伝えています。

それを決定付けるように、大村藩の家臣には、伊予の河野水軍庶流や、西海の小佐々水軍といった海に長けた一族の子孫がいたという文献も残っています。
幕末にも薩摩藩、長州藩とともに倒幕の中枢藩として活躍した大村藩。
海を制し、窯業を発展させ、小藩ながらも力強く生き抜きました。約300年にわたる大村藩の歴史を語る上で、波佐見焼は決して外すことのできない功績です。
大村藩主には切れ者が多く、歴史を知れば知るほど魅力が増していきます。
波佐見町の歴史をたどると、焼き物の町を支えた大村藩の姿もまた、より身近に感じられるはずです。

波佐見町歴史文化交流館(波佐見ミュージアム)
波佐見町教育委員会 文化財班
住所: 長崎県東彼杵郡波佐見町湯無田郷1010番地1
TEL:0956-85-7355
開館時間:9~17時(入館は閉館の30分前まで)
休館日:火曜日、年末年始
HP:https://www.town.hasami.lg.jp/rekishi/default.html






