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会ってほしいひと/行ってほしいところ/見てほしいこと2022.10.01

圧倒的な技術力を今に遺す第二次世界大戦期の遺跡を訪ねて|針尾無線塔保存会 田平 清男さん

佐世保と西彼杵半島を結ぶ西海橋とその向こうに位置する巨大な3本の建造物。大正時代、旧日本海軍が当時の最新鋭の技術を駆使して造り上げたその絶景について、今に語り継ぐ人を訪ねました。

近代日本の精巧な技術力が生み出した高さ136mの圧倒的な威圧感を誇る無線塔

紺碧の海と深い緑に包まれた西海橋の向こうに、異様な雰囲気を醸す建造物。西海橋の風景を知る人なら誰もが見るその絶景には、近代の産業革命とともに歩んだ歴史が詰まっています。日露戦争を契機とし、無線連絡体制の強化を目的に造られたこれら3基の無線塔は、旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設と呼ばれるもの。敷地内にある無線塔はいずれも高さ136m、土台となる基底部の直径約12m。旧日本海軍が約155万円、現在の価値にして約250億円もの大金を投入して建造しました。

近年では、近代日本の技術発展を象徴する文化財として注目されています。そして、2016年には「鎮守府横須賀・呉・佐世保・舞鶴〜日本近代化の躍動を体感できるまち~」の一つとして日本遺産に認定されました。出迎えてくれたのは、針尾無線塔保存会の会長である田平清男さん。針生送信所は、戦後も海上保安庁の管轄ではありましたが、当時は規制も厳しくなく、田平さんたち地元の子供たちの格好の遊び場だったとか。当時の様子をよく知る人が語る歴史は、感慨深いものがありました。

2018年8月現在、ボランティアガイドと共に、見学をすることができ、3号塔のみ中に立ち入ることもできます(団体の場合は事前予約が必要です)

“ニイタカヤマノボレ1208”の送信元という説も

鬱蒼とした緑につつまれたコンクリート製の建造物。すぐそばまで近づくと、うっすらと線のようなものが見えます。これはコンクリートを木枠で固めながら造り上げた証だそうです。この送信施設は大正7年から4年間かけて建造されたものです。コンクリート建築の製法が伝わったばかりの時代にこのような巨大な高さの建造物を造り上げたという事実にただただ驚かされます。昭和35年頃までは、一般の人でも立ち入ることができたため、地元民、特に子どもたちにとっては格好の遊び場だったそうです。中でも男子は度胸だめしで上まで登ることが通例だったそうです。保存会の事務所には塔のてっぺんまで登り、笑顔で写る学生たちの写真が今も残っています。また、針生送信所で何よりも興味深いのが、1941年12月2日、日本海軍連合艦隊司令長官である山本五十六が発したとされる電信「新高山登レ1208(ニイタカヤマノボレヒトフタマルハチ)」を送信したとも言われていること。そのことに関する正確な資料は残っていませんが、田平さんやボランティアガイドの方から、様々な戦時中の様子を伺うことで、大きく想像力をかきたてられます。

亀裂一つ入っていない100年前の技術力と、戦時中の様子を今に遺す針尾送信所。その土木技術と無線技術が高く評価され、近年では、国の重要文化財に指定されました。また施設内外には油庫・貯水槽・事務所や兵舎・港湾施設跡などが残っており、その説明を受けることもできます。日本遺産に認定されたことも手伝って、今後も随時整備を行ない、立ち入りや見学ができる場所が増える予定になっているそうです。常に海外に目を向けてきた長崎において、独自の発展を遂げてきた西海の歴史。その歴史背景とが作り出す景色の美しさを、海の美しさと共に楽しんでみてはいかがでしょう。

真下から見上げた図。ほかに類を見ないその建造物の佇まいは必見です
巧みに配された鉄筋、窓から漏れる光が織りなす建築美はまさに圧巻
入口付近の赤い扉の建物は油庫。主要機器を擁する電信室には1階部分を地中に埋めた跡があり、戦況が激化する過程を垣間見ることができます
送電線を調節する緩衝装置について説明をする田平さん
塔頂には“かんざし”と呼ばれる部分があり、そこに立つことができたとか
旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設
住所:〒859-3452 長崎県佐世保市針尾中町
TEL:0956-58-2718
営業時間:9:00~12:00、13:00~16:00(30分程度)
定休日:不定
個人(少人数)での見学は事前の電話連絡は必要はありませんが、施設の案内は新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、見合わせています。自由見学でお願いします。歩道整備がないため歩きやすい履物の準備が必要です。団体(20名以上)での見学は事前の電話連絡が必要です。

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